MS-05B ザクⅠ
MS開発秘録
MS-05B ザクⅠ
FILE No.019
MS-05B ザクⅠ
宇宙移民によって運営されるべき生活圏を標榜するジオン・ズム・ダイクンによって掲げられた新国家主義を旗印に、サイド3に位置するジオン公国はスペースコロニー国家としての自治権を巡って、地球連邦政府に対する独立宣言遂行の準備を着々と進めていた。その背景にはUC0065に電磁波に影響をもたらすミノフスキー粒子が発見されたことで、従来の兵器管制システムがまったく意味を成さない事態に直面していたことも行動の一因となったと考えられる。旧態の軍事を支配していた電子誘導兵器の無効化である。そうした軍備の基本概念が一変したことは、特に宇宙空間で覇権を広げるジオン公国にとって、このミノフスキー粒子の存在は、国家の進むべき方向に大きな転換点をもたらすものとなった。
ジオン国防軍は密かに軍備を拡張すると共に、この有視界戦闘のみに頼らざるを得ない状況に対し、もっともふさわしいと思われる兵器開発に着手することとなった。UC0071のことである。ジオン公国に点在する各種工業機器メーカーには、秘匿案件として提案要請が行われたが、特に様々な宇宙機器を開発していたジオニック社はこうした軍部からの要請を受けるなか、建築作業用補機として製造していた外骨格型人型重機を基礎に驚異のプランを提出、承認を受けると同時に直ちに試作機の開発に着手した。それこそが全高10数メートルを超える人型装甲作業機=モビルスーツであった(競合のMIP社によるMIP-X1は中型装甲戦闘艇の設計)。この際ジオン公国広報部は対外的に宇宙空間作業用大型重機ZI-XA3として公表しているが、実際にはジオン国防軍はこの機体に正式名称としてMS-01の形式番号を付与すると共に、様々な使用用途を模索しつつ逐次改良を加えていったのである。
この対ミノフスキー粒子兵器開発の前段においては、遠距離攻撃が困難であることから接近戦に加え格闘戦をも可能とするまったく新しい装甲機動戦闘機がふさわしいとのことで方向性が決められていたが、ジオニック社の提案による人型歩行機動兵器は当初ザビ家を始めとする高官たちからも驚愕の眼差しをもって迎えられた。開発の要点としては、単独である一定の作戦行動時間の維持と移動にかかわる動力供給とその配置バランス、および四肢(マニピュレーター)の稼動をより潤滑に行うための補機設計に焦点が絞られた。ほぼ人型の容姿を持つ機体としては試作三世代目のMS-03において基本形が完成していたが、兵器として運用するための機体強度(格闘戦を視野に入れた戦闘機器は史上初の試みとなる)、また様々な精密作業にも対応し得るマニピュレーターの高精度化も求められた。MSに人間同様に重火砲の分解・組立て、重機としての能力を担わせることとした。それは奇襲作戦を展開した後、拠点構築などの作業を迅速に行い、兵站線を確保する必要があったからである。このモビルスーツに求められたのは兵器であると同時に建設重機としての側面であった。
こうしてMS-04の試作を経てUC0074に開発されたのが、装甲機動歩兵MS-05通称ザク(通称はジオン エアー コマンドを略したものとする説もある)であった。ただしこの機体が正式採用される際は、対抗メーカー ツィマット社によるEMS-04ヅダが競作機としてコンペに供された(機番の先頭記号Eは、すでに04がジオニックの試作開発機に付与されていたので、特例=エクストラの略号とされる)。軍部が未知の領域に対して保険を幾重にもかけていた証左である。この機体は意欲的な設計で高機動性を主眼に試作された機体であったが、生産性を含む総合評価でジオニック社のザクに軍配が上がった(ザビ家に近しいジオニック社の政治力が働いたとも見られている。この視点による軍備に対する疑念は終戦まで続いた)。
実戦仕様に仕立てられたザクは、機体のフレーム強度はもちろんのこと、接近戦、格闘戦を前提にモノコック構造の外殻装甲をより堅牢なものとし、被弾経始を考慮した曲面装甲を用いている。また実戦時の損傷を避けるため動力伝達を行うための流体内パルスシステムはすべて装甲の内側に納められたが、これはかえって整備の複雑化を招き、次世代機の06型ではその点が大きく改められている。
正式採用の翌年には月面基地グラナダに設立されたジオン教導機動大隊において初期生産型MS-05Aザク 27機を配備、初のモビルスーツ実戦部隊の錬成が行われた。極初期の機体に用いられた武装は105mmマシンガンと280mmロケット・バズーカである。また続く生産型MS-05Bでは、格闘戦用にショルダー・アーマーが標準装備となり、加えて携行式シールド、またコロニー制圧作戦用のガス弾発射器もMS規格のものが装備に加えられた。
MS-05は徹底的な無駄の排除と作業の汎用性に重きが置かれたため、派生型を生むまでのゆとりが無い機体設計ではあったが、生産型のB型は通算793機が製造され、ジオン公国軍の初期作戦に次世代機06型と共に参加している。一週間戦争での混成部隊編成当時は、06型と共通の灰緑色迷彩塗装が施された。また実働機は終戦までに各部隊で継続使用された(地上降下作戦にも参加)。続くMS-06が正式機となった折に、引き続き通称のザクが継承されたため、この05型は以後ザクⅠとして区別されるようになった。